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光悦七種の内の毘沙門堂と同時期の作と考えられ、他の光悦茶碗に見られる様な火割れは見られぬため、やや大人しく見えるが、造形や箆使いの鋭さ、釉薬の巧みな用い方等、勝るとも劣らない優れた出来映えである。

 

本茶碗は光悦創意の丸造りで、見込が広く、胴は豊満で柔らかく掌で愛おしむように湾曲させ、手捏ね茶碗の特質を発揮させている。
光悦の作調は、この手捏ねの不定形的な美しさを極限まで追求する一方で、それを真っ向から否定する如く、鋭く厳しい箆使いで面取りを加味している事である。
高台周辺から腰部の立ち上がり、腰際から胴にかけてがそれである。
曲線と直線の妙味を一個の器の中で展開させるのは、光悦の世界をおいて他に類を見ない。

 

本器の高台は小さくやや高く、高台内は細く渦巻状に昇らせている。
素地は赤土で、光悦工夫のビードロ釉が総体に掛かり、白いムラが浮かび、高台近くから腰際にかけて薄墨群雲状の斑紋が浮かび上がり得も言われぬ景色となっている。
上記のように光悦の随意自由の個性味が発揮されている名碗である。


【参考】本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)
永禄元年~寛永十四年(1558~1637)
綜合芸術家。通称:次郎三郎、自得斎・徳有斎・大虚庵などと号した。
刀剣の磨砥・浄拭・鑑定の三事を家職とする本阿弥家の分家、光二の長男。母は妙秀。

光悦は木工・金工・皮細工・紐細工・象牙細工・螺鈿など装飾の技術に長じ、蒔絵にも優れた作品を残している。


父が没した慶長八年には、加賀前田家から遺領知行二百石を受け継いでいる。
元和元年(1615)徳川家康より洛北鷹峯に土地を与えられ、家族や配下の人々多数を率いて集住したが、中でも豪商茶屋四郎次郎・紙屋宗二・尾形宗伯・土田宗沢・筆屋妙喜らが知名。
書は精蓮院尊朝法親王に学び独特の書法を完成した。
楽焼、茶陶にも自由闊達な美意識が見られる。
晩年は鷹峯に大虚庵を営み閑居した。

光悦 赤茶碗「銘 福来」

SKU: 0017
¥1,100,000価格
  • 時代        江戸初期
    口径        12.0cm
    高さ        9.5cm
    高台径        5.0cm
    付属品        表千家十一代碌々斎箱・時代仕覆・包布
    その他        (伝)本阿弥光悦作 赤楽茶碗「銘 福来(ふくら)」

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