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古絵志野茶碗の優品で裏千家 十四世 淡々斎書付箱に納まる「銘 花筐(はながたみ)」である。内箱蓋裏に伝 大萱古窯の作とあり、桃山期 美濃大萱牟田洞の大窯で焼かれたものと思われる。
志野が持つ大きな魅力のひとつが、その独特の白さであり、また志野長石釉の持つ柔らかな質感と釉の厚み、表面にできる細かなピンホールの柚子肌、無数に入る貫入や釉薬の濃淡によって白さの中に生じるほのかな赤味、いわゆる緋色である。
且つそこに加わる鉄釉による知悉な絵文様がさらに豊かでほのぼのとした表情をこの茶碗は見せてくれている。

 

轆轤水挽した半筒形の器体に穏やかな歪みを付けて、嫌味とならぬ変化が加えられている。口造りはやや端反りぎみに山路風に、胴部や口縁下に軽く箆廻しを見せながらやや腰高に腰張りさせている。丸く削り出された高台は、中央を浅く粗削りした平高台で、底部高台近辺は丸く土見せとし、土はざんぐりとした百草土である。
胴部には大小の亀甲文が散し描きされており、釉掛かりが厚く穏やかな緋色の文様が見え隠れして温和でゆったりとした作ぶりで、花籠を彷彿とさせたかとも思われ、銘を花筐と想起したのであろうか。以上、本茶碗は古格と品格を備えた大へん味わい深い古志野茶碗である。

 

【参考】十四世 淡々斎宗室(1893~1964)
円能斎の長男。幼名政之輔。大正四年(1915)玄句斎永世、のち宗叔と改めたが、同六年二月二十日、仙台伊藤家の嘉代子と結婚して淡々斎と改称、三十歳で家元を継承した。
大徳寺円山伝衣老師について得度し無限斎の号も授与された。
同十四年、皇后陛下に大徳寺にて献茶して以来、皇太子はじめ各宮、各宮殿下にしばしば茶の湯をすすめ、また多くの社寺への献茶・共茶を行った。
流儀統一のため淡交会を結成、海外普及と文化交流のために国際茶道文化協会を設立した。
紺綬褒章・紫綬褒章を受章し、茶人として初の叙勲に輝き勲三等旭日中綬章を拝受した。

 

【参考】能楽 花筐(はながたみ) あらすじ
継体天皇が即位のため都に上る。照日の前は恋慕狂乱して後を追う。照日の前は形見の花筐を朝臣に打ち落とされて泣き伏し、武帝と李夫人の愛の故事を舞う。
帝は照日の前と知り都へ伴う。

古絵志野亀甲文茶碗「銘 花筐」

SKU: 0034
¥1,000,000価格
  • 時代        桃山~江戸初期
    口径        13.0×12.3cm
    高さ        9.0cm
    高台径        5.8cm
    付属品        桐二重箱(裏千家十四世 淡々斎書付)
    その他        縮緬仕覆・更紗包布

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