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口辺に巾広の凸帯を持ち、その下部に轆轤挽で深溝を廻し、水挽成形をした後、箆成形で腰部から高台にかけての畳付け底面をシャープに削り出し、胴下部側面数ヶ所に鋭く箆面取りを施している。
その後、三方形に近い扁平楕円形に大きく歪ませた沓茶碗である。
黒釉と白釉薬をくっきりと掛け分け、胴の一方の白地に鉄絵具で串団子文様を鮮やかに描がき、内外側ともに黒釉薬をたっぷりと掛けられて、厚くしっとりと良く溶けた器としている。
 
全体に極めて作為的な歪の強い沓形に造られ、腰にも鋭く面取りをするなど、まさに瓢化ものの典型といえる作ぶりである。
高台も茶人好みの鋭い削りの造りで、腰から高台にかけて土見せも鋭く箆廻しし、やや腰高にして茶味を深めている。
 
【参考】玄々斎 千 宗室
加賀 前田家および伊予 久松松平家に致仕・三河の国奥殿領主 松平縫殿守の子で幼児にして千家十世認得斎の養継嗣として千家に入る。
利休居士二百五十回忌を迎えるに当り、宗旦以来の今日庵、又隠、寒雲亭の茶室に加え、咄々斎、大炉の間、溜精軒などの茶室を増築、表門、玄関その他を今日の形に修築整備する。
 
今日庵年中行事、茶道送迎貴、今日庵雑記、反古普須磨、などの多数の手記、口述、記録を残し、立礼式をはじめ茶箱等の手前創作に努め、各流の代表として明治維新には政府に茶道建白書を提出するなど、茶道の興隆を新時代にはかり、茶道中興の祖ともいわれる人であった。
好み物にもその種類点数ともに多い。
玄々斎は不忘、虚白斎、寒雲などとも号す。明治十年(1877)六十六歳で没。

古黒織部沓茶碗「銘 風折烏帽子」

SKU: 0008
¥800,000価格
  • 時代        桃山時代
    口径        14.0×10.3cm
    高さ        7.5cm
    高台径        6.0×5.5cm
    付属品       時代桐箱(裏千家十一代 玄々斎書付箱)
    その他        縮緬仕覆・更紗包布

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