百草土を轆轤水挽成形で挽上げ、やや腰高の腰張りで胴から口縁にかけ一気に挽上げ、口縁下にやや深い轆轤目を入れて口絞りをしている。
口縁は浅く滑らかに山路に削っている。
腰畳付際には鋭く箆彫りを廻し、畳付中央に丸く削り出された高台は無造作に箆彫りされた二重高台を作り、腰から高台にかけては穏やかな丸みを持たせた土見せとしている。
本茶碗は桃山後期のこなれた鼠志野茶碗で、ことに釉薬が厚く薄く掛かり白味をおびた柔らかな釉膚の中に緋色が所々にあらわれている。
見込は広く深く無数の細かな貫入が入っている。
胴の正面には細箆で二竿の網干文と、下と左右には波文が描かれ、右波上には一羽の千鳥も描かれており誠に味わい深く、古格と品格を備えた古志野茶碗である。
【参考】鼠志野
志野焼は美濃の国(岐阜県)にて安土桃山時代に焼かれた白釉薬(長石釉)を使った焼き物で、赤志野や鼠志野等幾つかの種類がある。
志野の大きな特徴として、絵付けがされていることが挙げられ、これは日本の陶器史上画期的な事であった。
普通志野は鉄絵で身近な風景や物を簡素に描かれた上に長石釉を厚く掛け、素地や釉薬の中の鉄分が焼成段階に緋色の景色を作り出し、あるいは、厚く掛けられた長石釉の白さや柚子膚を愛でたが、鼠志野は素地に鬼板(酸化鉄)を溶かした泥奬を掛け、その上から箆などで搔き落としによる模様を描いて、さらに志野釉を掛けて焼いたもので、搔き落とした部分が白く残り、鉄の部分が窯内の条件で鼠色や赤褐色に焼き上がる焼物で、諸々の条件により焼き上がりが千変万化する。
古鼠志野網干文茶碗
時代 桃山~江戸初期
口径 12.5cm
高さ 8.3cm
高台径 5.5cm
付属品 時代桐箱・縮緬仕覆・包布
その他 --