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轆轤水挽成形後、口を内に捻り返し、しかも撫四方にした向付で、腰に段をつけて見込は深くし、見込と底は円形で、底の三方に脚を付けている。
見込には芒を数本描き、見込の縁廻りには上下に点斑文を描き、左右に檜垣文を細かく描いている。また、器口縁外側にも木賊文や間道文が描かれている。
器全体に掛かった志野の釉膚も厚く滑らかで、口辺や志野釉の薄くなった部分には、志野特有の緋色が現れて大へん趣きがあり魅力的である。
なお、器の見込には三つの小さな目跡が認められる。
この向付は五客揃いで時代段箱納となっている。

 

【参考】志野焼の出現
茶陶、懐石食器類としての志野焼は、慶長四年(1599)頃に出現した蓋然性が高いと考えられる。
これは慶長三年の大坂城三の丸造成に伴う盛り土整地層より下からは、志野焼の出土例が皆無であるのに対して、大津城跡では関ヶ原の戦い(慶長五年)直後の整地層から出土が確認されている。
さらに慶長四年二月八日の織部茶会で用いられ、神谷宗湛に(ヘイケモノ)と評された歪のあるセト茶碗の実体とは卯花垣のような志野茶碗もしくは、瀬戸黒茶碗であったのではと考えられている。

志野芒文向付(五客)

SKU: 0020
¥350,000価格
  • 時代        桃山~江戸初期
    口径        13.5cm
    高さ        5.5cm
    胴径        15.0cm
    付属品        時代段箱・包布
    その他        --

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