楽家三代ノンコウ作の赤楽茶碗で、裏千家十一世玄々斎書付「銘 了々寿」があり、合せて楽家十二代の識が添えられている。
本碗は明るい色目や大らかな姿形で、銘(じゅすことぶき:大いにことほぐの意)にそぐう名碗である。
やや薄造りで、口造りは少し内に抱えて山道をつくり、蛤の合口の先端のように薄く尖った、いわゆる蛤端になっている。
光悦様の丸造りで、見込が広く茶溜り作っている。
胴は豊満で柔らかいが、踊り箆を使って作行きに変化を見せている。
素地は赤く土見ずで、全体に細かく貫入が走り、失透ぎみの釉を透かして冴えた赤味が隠見する。
また、淡く黒雲の様な釉彩を器の内外に装飾的に施して一層景色に趣きを添えている。
高台は比較的小さく、内に巴の兜巾が立ち、高台際の切り込みは深い。
手取りも掌に自然に収まる誠に茶心に適った茶碗である。
【参考】楽 道入(ノンコウ) 1599~1656
安土桃山~江戸初期にかけての京都の陶芸家
三代目 楽 吉左衛門家当主、黒釉茶碗に妙技を見せ、縁戚でもある本阿弥光悦との交流があった。
法名は知見院道入日宝居士。二代常慶の長男。
名は吉兵衛、のち吉左衛門。
【参考】玄々斎宗室
茶道 裏千家十一世家元。三河奥殿藩主 松平縫頭 乗友の子、幼名は千代松、号に、木忘・虚白斎・寒雲等、十歳で裏千家の養子となる。
五十歳で得度し、精中と称する。立礼式を考案するなど茶の湯の近代化をはかる。
明治十年(1877)没 六八歳
赤楽茶碗 道入(ノンコウ)作「銘 了々寿」
時代 江戸初期
口径 10.5cm
高さ 7.3cm
胴径 11.5cm
付属品 時代書付二重箱・仕覆・更紗包布
その他 裏千家 十一世 玄々斎書付・楽十二代 識・共直し補修痕あり